他人の自由を侵害せず認め、自分の自由も侵害されず認めてもらえば、自分の自由だけを楽しめる
お金は対価です。
対価は『考えた』『やった』『売った』行動の権利です。
行動は契約義務で行われ。同時に権利者に責任があります。
義務を了承して責任を負うのが仕事(義務に仕える事)で。
義務を負い責任を持った人が対価を得ます。
当たり前ですね。
義務責任と権利は一人の人にセットであり義務責任を持つ人に自由があります。
私の経験上、『考える』『やる』『売る』を一人でやり遂げる人は過去にいないと考えています。
家系という真似の源流にある吉村屋系の吉村家さんですら、色々な役割の人の力を統合して、それを完成させています。
吉村家あたりだと『お客様は我が味の師なり』お客様のエネルギーと、『酒井製麺しか使わない』酒井製麺のエネルギーと、その他材料提供している人々のエネルギーと、お店のスタッフのエネルギーと、家族のエネルギーに日ごろ感謝を忘れない事で、エネルギーを統合して一つ(一人に見える)ようにしています。
課題をくれたお客さんに感謝せず『私が考えた』とお客様の功績をとり、『酒井製麺から買ってやってる』と酒井製麺の功績をとり、『スタッフに給料払ってやってる』とスタッフの功績をとり、『食わせてやってる』と家族の功績をとり、功績とは権利なので、その『権利』と『対価』をとってしまうと『義務』と『責任』もついてきます。
自分が『自分で課題を出さなければならない』『自分が自分で麺を造らなければならない』『自分だけで生きなければならない』
他人の功績や権利を越権して取るという事は、力を借りずに自分が行動するという意味であり。
他人の権利に対して越権するという事は、意識していなくても義務責任を負っています。
つまり気軽に他人の自由を越権侵害し対価を得続ければ、気が付いた時には自分が知らなかった義務責任をたくさん背負っています。
つまり他人の自由を盗んだ分だけ、他人の自由を盗んでも相手の自由を自分が勝手に守れるはずもないのに、守らなければならなくなり人は不自由になる。
権利は欲でもありますからね
人はみな、それぞれが義務責任から『不自由』を経験して、その成果としてその人の自由を持っている。
他人のその自由を勝手に侵害し盗み、自分の自由だけ主張し、他人の義務責任を背負えば、他人の義務責任の不自由も背負う
他人のその自由を侵害せず認め、自分の自由も侵害されず認めてもらえば、自分の自由だけを楽しめる
物事を権利だけで見ずに。責任で分担しておけばみんな自由















