現在の人類は科学万能主義なので物質的な事を立証するのは得意とするが、非物質的な事を科学的なアプローチでで立証する事を不得意としている事は明らかで。
非物質は存在しない立場をとりがちです。
アカシックレコードは存在するのかしないのか。長年その課題は科学的アプローチで立証が試みられていますが答えはでていません。
これを『科学の限界』とか『神はいるかいないか』とか『最後は哲学と科学が統合する』とか、色々言われていて勉学されていて、私には到底無理なのでリスペクトしています。
アカシックレコードにアクセスするのは、まずアカシックレコードの存在を認識しないとアクセスしようがありません。
アカシックレコードの存在を認識するだけなら、日常的に当たり前の事をロジカルに整理するだけで出来そうな気もするので、その後の事はリスペクトしているみなさんに業務としてやってもらうとして。
『アカシックレコードはあるよね?』と思えそうな日常の事象を書いてみようと思います。
技術とか技とか術とか。辞典を知ら寝ると。『あ。やっぱりこのあたりは辞典といえどもハッキリとした説明ができないんだな』と感じます。
今回は『術』の部分をピックアップしますが『能力』や『わざ』なんて書いてます(笑)
能力といったって『技能』なんて言葉もあるし、わざと言ったって『技術』なんて言葉もあって『わざわざ』になってしまったり曖昧ですよね。
これは、技(力)とか能力(量)とか術(考え方)とか、生きながらニュアンスを理解して文字や言葉になりにくい事をいわゆる『職人』と呼ばれる人たちが使い分けした工夫が根底にある国だからなんだと思います。
極端な話作業者を見た時に、大手回転寿司屋のやり方マニュアル通りに上手くやる事も技術力だし、一流の寿司職人の親方の考え方に従い上手くやるのも技術力だし。
回転寿司屋の考え方に師事する技術者が、一流寿司職人に師事する技術者にマウントしたって、同じ寿司でも土俵が違うっていう事になります。
じゅつ
〖術〗 (術󠄁) ジュツ わざ・すべ
何回も行って自分のものとなった能力。手仕事の能力。学問。わざ。
人間生まれた瞬間から最初に身に着ける『術』は何かご存じですか?
『呼吸』吸ってはいて
しかし何回も行って自分のものとなった能力でなければならないなら生存に間に合わないと思います。
いきなりできている。つまり習って練習していないのに『知っている』
アカシックレコード
人間だけじゃなく、いかなる生き物でも誰も教えた訳ではないのに自然に出来る事ってありますよね。
本来『何回も行って自分のものとなった能力。手仕事の能力。学問。わざ。』は、言葉だったり、文字だったり、本などから習い実行します。
習わなくてもできる事っていうのは、生き物の能は、生き物が共有しているアカシックレコードにアクセスしているって事だと思うんです。
生まれる前に心臓が動き生命が宿る。
生まれたら呼吸をはじめる。
そうやってアカシックレコードを意識するとですね、『我欲』『今だけ金だけ自分だけ』じゃなくてですね。
利他の意識で、周りに先義を与える事を先に考えてありのまま嘘偽りなく正直なら、いくらでもアイディアは送信されてくるようです。
送信を受ける存在がファーストペンギンになる。つまり創造者元祖原点ですね。















